Dr.やっさんについて

やっさんのこれまで

東京都生まれ、埼玉県育ち

小学校では地元の野球チームのキャプテンをしたり、児童会長をしたり、目立つことが好きな少年でした。

中学校では野球部の主将を務めていましたが、顧問の厳しい指導とチームメンバーの統率という重責に耐えられず、主将を辞めることを顧問に直訴。

顧問の”あっそう”という返事に発憤して、”やっぱり主将辞めるのや~めた”、ということで最後まで主将を務めました。このあたり、他人軸で生きてる感じが今も変わっていない。

高校では野球部から一転、坊主になるのも嫌という不純な動機もあり、サッカー部に入部。初心者でしたので、練習についていくので精一杯。

でも、2年生の秋からレギュラーになり、3年生の選手権大会地区予選まで続けられたのは自分の中で自信になってます。

大学では、勉強はさておき、バイトや恋愛や諸々、ザ・ニッポンの大学生という何ともない日常を過ごした。大学4年の卒業旅行に行ったタイのプーケット島とロサンゼルスは貧乏旅行ながらも刺激になった。世の中、広いと。

就職は大学の研究室の先輩が”給料がとてもいい”と言っていたことと、健康に関する業界は安定しているのでは、という野心も何もない、普通の理由から、製薬会社の営業職(MR)を目標に就職活動をして、無事(?)、大手外資系製薬会社に就職。

社会人になってから、まず、半年間の新人研修からスタート。研修中は同期とワイワイ楽しく過ごす訳で、要は学生の延長のような半年間を過ごした後、仙台に配属され、一抹の不安を抱えながら、仙台赴任スタート。

不安は的中し、学生の延長のような態度のやっさんは、社会人の厳しさのGAPと諸先輩方からの叱咤激励(今で言うパワハラですね)を受けながら、日々、違和感を抱えながら、1年過ごした。

1年もすると、少しずつ仕事に慣れて行くわけですが、当時の医薬品業界の営業は”壁の花”などと言われ、医局や廊下などで先生を待ち受けて、営業をするわけです。

可愛がってもらった先生もいたり、それなりに充実していた部分もあったように思うのですが、数時間も待ってご機嫌伺いをするような仕事に感じられ、なんと言うか、物足りないような、このままでいいんだろうかというような違和感がふつふつと湧いていました。

そんなこんなで、悩んだあげく、医薬品会社の営業は2年弱で辞めて、医薬品の開発業務受託機関に入社。

4年働いた後、どうせこのまま医療業界で働くなら、医者になってになってより上を目指そうという、かなり飛躍がある野心が芽生えて、28歳の時に会社を辞め、予備校生(当時四谷にある駿台予備校生)となりました。1年間の期限付きと決め、10歳くらい年下の予備校生らと受験勉強に明け暮れる日々。

このとき、やっさんよりも10歳以上も年が上と思われる人も数名いたりして、年をとってから方向変換する人っているんだなと。なんと言うか、自分だけではないという心の支え(?)のような感じを持っていました。

そういえば、あの人たちはその後どうなったんだろう。。

1年間の受験勉強後、主に私立の医学部を数校受験。見事惨敗。。精神的にも相当追い詰められていて、後から弟に聞いた話では、風で飛んで行ってしまいそうな感じだったと(それくらいひょろひょろ生気がなかったのでしょうね)。

お金も何かもない、それこそ無となり、これ以上、医者を目指して受験をし続けることは、正直、心身ともに困難な状況でした。

色々、考えましたが、医薬品開発は患者さんに貢献できますし、4年間、医薬品開発に携わって来ていましたので、医薬品会社で医薬品開発に貢献することを目指して、再度、医薬品業界に戻る決意をしたのでした。

今振り返ると20代はふらふらと色々模索して、こんなはずはないとか、もっとやれるはずと自身を鼓舞してやっていたのですが、失敗だらけで、精神的にも相当きつい時でした。

30歳の時、米国大手製薬会社の医薬品開発部に何とか採用してもらい(採用してくれた会社と元上司には本当に感謝してます)、20代でふらふらしていた分、30歳代は医薬品開発に邁進。

医薬品開発に必要な体系的な知識を習得すべく、社会人大学院にも入学し修士号を取得。その後、40歳代では、社会人大学院博士課程にて、医薬品開発学の博士号を取得。

なんと言うか、劣等感というか、コンプレックスというか、知識習得に飢えていたかのように、この時期は、過ごしていたように思います。人生、悩んで、ふらふらすることも必要なんです。

そして今、50代。色々な経験を経て、心やその他もろもろ、色々な面で余裕が出てきていますが、医薬品開発以外に何かできることはないかなと、40代後半くらいから少しずつ考えているところです。

現在のおしごと

やっさんは、現在、大手外資系製薬会社で医薬品の開発をしてます。

得意の英語を駆使してグローバル医薬品開発をリードしてます。

30代前半までは、ほとんど英語しゃべれなかったのですが(苦笑)、英語で仕事できたらかっこいい、なんていう浅はかな(?)夢を持って、英語で仕事したいと一念発起。

30代は毎朝30分、英語の勉強をして、今では目標としていた英語を使って仕事をしています。

やっさんの趣味

やっさんは一人で黙々と考えながらできることが好きなので、一人でできる趣味が多いです。一人ですることが好きなんだと最近気づきました!!

ゴルフ(ベストスコア81。70代目指してます!)

瞑想(マインドフルネス講師の資格もってます。空いた時間でちょこっと瞑想)

筋トレ(自重筋トレ、スクワットがメインです。テストステロン値を上げようと、50歳になって始めました。中々習慣づけられないのですが…)

ストレッチ(自分史上、もっとも身体の柔らかい自分を目指して、こちらも50歳になって始めました。身体、めっちゃ固いんです)

NHKのプロフェッショナルの視聴(録画をして時間のあるときにメモ片手に観てます。プロフェッショナルの言うことって刺激になるんですよね)

読書(何でもそのとき興味があるものを手当たり次第に読んでます。2024年は50冊以上読破。投資に関する本が多いかな)

株式投資(細々と身近にある好きな会社、気になる会社に投資して配当収入を得ています。長期投資を基本としてます。身近にある好きな会社、気になる会社に投資するっていうのがポイントなんです)

やっさんの人生の目標

お世話になっているこの国がより良い国であり続けるように、人生後半はニッポンを応援したいと思っています。

がんばれニッポン!

日本人の心身の健康に貢献します

日本の良さを知ってもらう活動をします

日本の企業に投資します

今の日本を支えるキャリアに悩む人を応援します

将来の日本を支える日本の子供たちを応援します